1963年
父・山本 藤夫と母・照との間に長男誕生。山本宏昭と命名され、一人っ子として育つ。
1965年
現在の地(東京都東村山市青葉町2丁目2番地1)に店鋪兼住居を構え酒類小売業を開業する。(後に有限会社山藤と法人化する)住居を兼ねた店舗の前には、青葉町2丁目バス停があり、物心のついたころから、バスに興味を持つようになった。当時、絵を描くといえばバスであり、おもちゃといえばバスのミニカー。休日に母と駅前の商店へ買い物に出かけるのが何よりの楽しみだった。そして決まって一番前の席に座り、ただじっと運転の様子を観察していた。中学生の頃には、遠くからでもバスの一部を見ただけで、どこのバス会社のどこのメーカーのバスであるかズバリ当てることができる程となる。
1978年
高校へ進学。週1時限の自由研究において「日本のバス」というテーマで調査・研究を重ね、クラス代表として全生徒を前に発表を行った。
1981年
大学は夜学に通い、昼は家業の手伝いと体育会剣道部で汗を流した。
1982年3月
18歳で自動車運転免許取得。
1986年1月
21歳で大型二種免許取得。トラックを何年も経験したドライバーでさえ5〜6回或いは10回以上も試験場へ足を運ぶほどの難関だが、たった1回、史上最年少で合格。警視庁府中運転免許試験場の試験官(警察官)が免許証を交付するときに、「大型二種免許は、大勢の人命を預かるということから1回で簡単に合格させたくないが、100点満点で合格している者を警察官として不合格にはできないから・・・充分心して運転するように。」と注意した。
大学時代、年に2回の試験休み中に行ったアルバイトは、
1 大東観光バス(東京都新宿区)での洗車係。
2 富士急行バス(東京都港区)での車掌。主に新宿と河口湖方面を結ぶ高速路線バスに乗務した。
3 多摩日野自動車販売(東京都八王子市)での陸送係。車検・整備のために、お客さまの車を回送させる業務でで、あらゆるタイプのトラックやバスを運転することができた。特に楽しみであったのが、西東京バスの車輌(貸切・乗合)の回送であり、生まれて初めて大型観光バスを運転した時の感動は今でも忘れていない。
1986年4月
大学卒業。バス会社への勤務を希望するが、大卒や未婚者は不採用という壁と両親からの願いで家業を継ぐことになる。
「そんなにバスが好きで運転がしたいならば、一生懸命働いて趣味で自分のバスを運転するような人間になれ」が、父親の言葉だった。
バス購入資金づくりのため、マイカーは持たず社名入りの軽トラックやバンを使い、着るものは酒類メーカーからの景品。爪に火をともすようにして貯蓄に励んだが、バス購入の費用には及ばず、株式投資に目を向ける。有り金叩いて購入した造船株に何と10数倍の値が付いた。しかし新車の購入代金には及ばなかった。
1988年
中古バスを購入するために、バス業界誌の編集長を訪ね、大阪の大手バス会社経由で中古バス販売会社を紹介され、念願のバスを購入。昼休み、飯も食べずにバスを磨き、週に1度の休日には夜明けとともに車庫へ行き、ワックス掛け・メンテナンス・修繕やらで気が付くと腹が減るのも忘れて夜になっていた。このころから、巷では「バス馬鹿」と呼ぶようになる。この頃からバス会社設立の夢が湧いてくる。
1999年11月
銀河鉄道(株)を設立し、特定旅客自動車運送事業を開始する。
2001年4月
東村山市コミュニティバス事業計画において銀河鉄道(株)運行プラン策定事業者に選定された。
2001年5月
一般貸切旅客自動車運送事業(観光バス事業)の許可がおり営業開始。
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